風呂は楽 思い出させてくれたから 九月八日(くがつようか)は 「介助記念日」

お疲れ様です、福嶋です。
朝の出社時に浴びる日光が穏やかになってきたなあ、と思いつつ、令和7年も3ヵ月ちょっとになりましたね。

さて、僕は、今月から入浴介助を受けるようになりました。

それまでは、健常者だった頃の記憶を引きずって、独りで入っていました。
それでも特段の差し支えはなかったのですが、一年くらい前から、前後の準備(衣類の着脱とかタオルや衣類の準備とか)や自分の室内用車椅子と浴室用の椅子(シャワーチェア)との移動とかが、動かしづらくなってきた脚のためにものすごい時間を要する状態になってきたため、シャワー浴だけだったにもかかわらず、脱衣所に入ってから出るまでに2時間近くかかるようになっていたのです。
もう、面倒で面倒でしょうがなく感じていました。
しかも、一度は、浴室内で転んでしまう、なんてことすらありました。
そのときは、仰向けに寝そべった状態になってしまったのですが、それからは自力で起き上がることはもちろん、うつ伏せの状態に寝返りを打つこともできなかったため、4、5時間かけて背をよじらせてすこーしずつ浴室の床を進みなんとか脱衣所にたどり着いて…、という感じでした。。

こんな状態で生活していたため、睡眠時間は常に不足気味、精神的にも常にイライラしがち。
そうなると、家族にもよくないオーラを発していたようで、家族関係、仕事の面、そして自分自身、すべてにおいて負のスパイラルに陥っていたのです。

いくら鈍感な僕でもさすがにこのままではマズいとうすうす感じていましたし、あと、6月から2ヶ月近く入院したときに、その病院で受けた(半強制的な)入浴介護がきっかけとなって、お風呂に入るのは人に助けてもらった方が早く終わって楽だ、と思うようになったのです。
それに、他人から裸を見られることへの抵抗とか、お風呂は独りで入ってゆっくり楽しむものだといった固定概念とかがなくなっていったのもありました。

つまり、自分の中で、“中途半端に身動きできる(できてしまうことが残っている)中途障害者(できていたころの記憶がある)”ならではの葛藤と、ヘルパーさんに介助を依頼したときの客観的な有益性とか必要性とかいったものとが一致してストンと腑に落ちたようで、生活介助(の一部としての入浴介助)を依頼するに至りました。

で、実際に始まると、ヘルパーさんというプロの手による入浴介助は、本当に安心で快適です。
車椅子とシャワーチェア間の移乗がこんなにスムーズにできるなんて!と、初日は感動ものでした。
しかも、あっさりお風呂は終わるし。
そして、連日、なんでもっと早くお願いしていなかったのだろう、と後悔してばかりです。
(今考えると)無駄に、プライドみたいなのに縛られていたようです。

 

というわけで、俵万智さんのサラダ記念日にオマージュしてひねり出したのが、このブログのタイトルです。

そうなんです。
以前は何も考えずに(=ラクに)入っていたお風呂というものが、いつの間にか苦行にすらなっていたのですが、この入浴介助をきっかけにそれを思い出した、さらに、楽しい、というのも加わって。
それを記念して、僕にとっての九月八日は、「介助記念日」になりました。