出水といえばツル、ツルといえば出水。
とは言っても、季節はまだ残暑厳しい9月。さすがにないよなと思っていたら、いました、ツル!

出水に来てよかった!
というわけで、今回は新幹線でビューッと出水まで行ってきました!
どうも、川崎です。
鹿児島中央駅には JR キューポちゃんがいました。でかい。。

というわけで
先日、出水市の「NPO法人おれんじの家」さんにお招きいただき、障がい者虐待防止研修会の講師を務めてきました。
参加者は職員のみなさん約40名。
この日は出水出身の当事者スタッフ・土持くんと一緒に登壇し、「障害って何だろう」というテーマで、当事者の目から見た「不適切支援」や「グレーゾーン」の話をしてきました。
土持くん大人気
ちょっと嫉妬しました。

虐待防止の研修というと、身体的・性的・心理的・放棄放置・経済的という5類型の説明や、通報の義務といった「決まり」の話が中心になりがちです。
もちろん基本はとても大事
でも今回は僕自身が支援される側で過ごしてきた時間の話を、包み隠さずすることにしました。
「時間がないよ」と言う言葉
若い頃、施設や病院で暮らしていたとき、僕がいちばん覚えているのは、叩かれたことでも怒鳴られたことでもありません。
それはトイレをお願いしたときの、怪訝な顔。
「時間がないよ」と急かされたこと。
パソコンのセットを頼んだときも、同じ言葉で止められたこと。
二十歳前後の大人に向かって、赤ちゃん言葉で話しかけられたこと。
どれも、虐待ではありません。
通報するような話でもない。
でも、怪訝な顔を三回見ると、四回目は頼まなくなります。迷惑をかけたくない。あの顔をもう見たくない。
それだけの理由で、当事者は水を控え、トイレを我慢し、パソコンを諦める。
生活そのものが、少しずつ小さくなっていく。
怖いのはここからです。
頼まなくなった当事者は、支援者の目には「落ち着いた」「手がかからなくなった」と映る。静かになった人は「問題ない人」として扱われ、その先の放置は、もう誰の目にも映らなくなります。
世の中には「フキハラ(不機嫌ハラスメント)」という言葉がありますが、本当によく言ったものだと思います。不機嫌そうな態度、ため息、怪訝な表情、頼みにくい空気。そのどれも「行為」としては何もしていません。
けれど、支援される側にとっては、それが支援の回数を減らす最大の圧力になる。
虐待の5類型のうち、心理的虐待と放棄・放置は、この「頼めなくなる」の延長線上にあります。

土持くんも、以前通っていた事業所での経験を話してくれました。介助をなかなか頼めなかったこと、水分を控えていたこと、トイレに行けなかったこと。そして「なぜ言えなかったのか」。年代も場所も違うのに、僕の話と同じ構造がそこにありました。
でも、これは支援者だけの話ではない
ここまで書くと、支援者を責める話に聞こえるかもしれません。でも、講師をしながら僕が一番考えていたのは、逆のことでした。
不機嫌が人を萎縮させるのなら、それは介助者に対しても同じです。
僕たち障害当事者が、疲れている夜にきつい言い方をしたり、指示が曖昧だったのに「なんでわからないの」という顔をしたり、ため息ひとつで相手を黙らせたりすれば、介助者は萎縮します。
萎縮した介助者は、確認しにくくなります。「これで合ってますか」と聞けなくなる。
そして確認しないまま介助をすれば、それは僕たちの身体に返ってきます。
介助の関係は、指示する側とされる側であっても、対等であることが土台です。「頼める関係」は、当事者と介助者の両方が守るものだと思っています。僕自身、家に帰ってから「今日のあの言い方は、良くなかったな」と反省する夜が、正直にいうと、あります。
明日からできること
研修の最後に、参加者のみなさんにお願いしたのは、大きなことではありません。
明日、現場で「時間がないよ」を、一回だけ飲み込んでみてください。その一回で、その人は「もう一回頼んでみよう」と思えます。頼める関係が残っている限り、グレーは虐待になりません。
そしてこれは、自分に向けても言っています。今日の自分の顔は、誰かを頼めなくさせていなかったか。支援する側もされる側も、同じ問いを持ち続けることが、虐待防止のいちばん手前の力なのだと、講師をしながら改めて感じた一日でした。
おれんじの家のみなさん、貴重な機会をありがとうございました。

この後、土持くんは実家に2時間だけ滞在して晩御飯を食べて帰ってきたそうです。いやぁ素晴らしい。
「俺の自由だぁ!」さすがです!